キリストの再臨
■ アリス・A・ベイリー 著
■ 石川道子 訳
■ 発刊日:1997年12月(改定版)
■ 体裁:B6判/296頁
■ 税込定価¥1575+送料¥160(計¥1735)
■ ISBNコード:4-916108-06-X

 本書は、ジュワル・クール覚者がアリス・ベイリーを通して伝えられた教えである。キリスト・マイトレーヤ再臨の背景、キリストの仕事と教えをつぶさに説明している。これが伝達された1948年の段階での予測と予言、そして世界の弟子達に再臨を一刻も早く可能ならしめるように道を整える仕事を要請した文書。再臨を決意するにあたってマイトレーヤが辿った過程、仏陀とマイトレーヤの関係、神の大計画における再臨の意義についても言及。現代起こっていることの意味の重大性を改めて認識させられる。

巻頭言 / 大祈願 / 第1章 来るべき方の教理――西洋の教え / 第2章 キリストの独特な機会――今日の世界 / 第3章 キリストの再臨――世の期待 / 第4章 キリストの仕事――今日と将来 / 第5章 キリストの教え / 第6章 新しい世界宗教 / 第7章 キリストの再臨のための準備 / 結論 / 訳者あとがき

巻頭言 ―「チベット人」の言葉からの抜粋 ―

 私は、ある段階の弟子であり、チベット人であるとだけ言っておこう。これはたいした説明にはならない。というのは最高位の志向者からキリスト・マイトレーヤ御自身およびさらにその先まですべてが弟子であるのだから。

 私はチベットの国境に、普通の人間と同じような肉体を持って住んでおり、時には、私の義務が許す時にチベットのラマ僧の大きな集団に (外的な意味で) 君臨することがある。この事実から、私がこの特定の僧院の長であると伝えられるに至ったのである。

 私と共にハイアラキーの仕事に携わっている者たちは、(そして真の弟子はすべてこの仕事に携わっているのだが)私をまた別の名前と役職で知っている。A・A・B(アリス・A・ベイリー)は、私が誰であるかを知っており私の名前を2つ知っている。

 私はあなたがたの兄弟であり、普通の学徒よりも少し長い間、道を歩んでいる者であり、それ故により多くの責任を担う者でもある。私は、この書を読む(道への)志向者たちに比べ、より大きな度合いの光の中へと奮闘、苦闘してきた者である。

 であるから、私はどのような犠牲を払おうとも、光の伝達者としての役割を果たさねばならない。教師の中では年齢が左右するようだが私は老人ではない、しかし若くて未経験でもない。私の仕事は、反応のある所すべてにおいて、永遠なる智恵を教え広めることであり、これを長年やってきている。さらに、機会があるたびにM覚者とK・H覚者を助けることを願う。私は長い間彼らと結びついており、彼らの仕事に関連して来たのである。

 以上で私はあなたがたに、たくさんのことを語ったが、同時に、感情的に興奮した志向者たちがまだ接触を得ることのできない導師や覚者に献げる盲目的服従とばかげた崇拝を私に向けさせるようなことは、一切何も語っていない。そのような志向者たちは、感情的な崇拝を人類への――覚者に対してではなく――非利己的な奉仕に変性させるまでは、望むような接触は得られないであろう。

 私が書いた書物は、それが受け入れられることを全く求めずに提供される。正しく真であり、役に立つものであるかもしれないし、そうでないかもしれない。正しい実践と直観の働きによって、諸君自身がその真理を確かめることである。私も、A・A・Bも、これらが神の啓示を受けた者の書であると評価されたり、覚者による作品であると人が(かたずを飲みながら)言うことに全く関心がない。

 これらの書物が、すでに世に出ている教えの上に積み重ねられるかたちで真理を紹介し、もし提供された情報が志向と奉仕の思いを感情界から識心界(覚者たちを見つけることのできる次元)へと向上させる役に立つならば、目的を達したことになろう。もし伝えられた教えが、世にいる奉仕者の啓発された知性の反応を呼び、直観のひらめきを招くならば、教えを受け入れるがよい。然らずば、受け入れるでない。

 もし主張が、やがて確証を得たり、相応関係の法に基づくテストの下で真であると見なされれば、それは良い。しかしそうでなければ、学徒は書かれていることを受け入れることはない。

      1934年 8月

 訳註=この紹介文はアリス・ベイリーを筆記者として、単に「チベット人」と名乗られた方(ジュワル・クール覚者)が口述された21巻にわたる膨大な書物のすべてに載せられている巻頭言である。ルーシス出版による『キリストの再臨』の書の初版の出版は1948年である。
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