訳者 石川道子の紹介
東京に生まれる。最終学歴はアメリカのエール大学大学院修士号。国際政治学、特に第三世界開発問題の研究。後に、アメリカで新しい教育形態の実験的プログラムの開発および運営に従事する。1981年以来、ベンジャミン・クレームの共働者の一人として日米を中心にネットワークの中で奉仕活動を続けている。クレームの著書を中心に編集、翻訳、出版の活動、さらに国際月刊誌『シェア・インターナショナル』日本語版の監修責任者等も務めている。 |
私が本書をはじめて読み、メッセージの録音テープを聞いた時、長い間求めていたものにやっと出会えたという感動があった、メッセージが私の頭ではなく、心【ハート】に素直に響いてきたのである。
私には、子供の頃から何となく抱いていた夢があった。大人になって、世界平和や国際政治に関心を持ち、いわゆる合理的現実的思考の支配するなかで仕事をしながらも、いつも心のすみで温めていた夢があった。マイトレーヤのメッセージにふれたとき、その夢が、単なる夢物語のような理想主義からでたものではなかったことを、はっきりと悟ったのである。
神の御国とか仏国土は、死んでから後の世界ではなく、現実のこの世に顕現させていかねばならないものであり、宗教心とか人間の霊性は政治、経済、社会のあり方と分離したものではない筈だという思いが、これらのメッセージの中に見事に表現されているのを読んで、私は喜びを禁じ得なかった。
私は元来、宗教組織というものが好きではなかった。いずれの教団にもみられる狂信的態度がやりきれなかった。自分達の師や教祖を崇拝し、教えを感情的に受け入れ、己の幸せにのみ執われ、社会の不正義に無関心な人々の集まりがいやだった。教団という組織の壁を真理の河の自然な流れをさえぎってしまう。
心を開いて学べば、各宗教の教えの根本は皆同じである。真理であれば、これは自然なことなのだが、何故か、どの宗教も、宗派も、自分たちの教祖こそ最高であり、その教えこそ唯一の救いの道だとか、最も正しいのだとして執われてしまう。世界の歴史の中で、宗教の名においてあまりにも多くの残酷な流血の戦いが闘われて来た。そして現在も、最も野蛮で残酷な戦いが狂信的なイスラム教徒やキリスト教徒やヒンズー教徒の間で繰り返されている。
他方、政治や経済、社会の分野に携わる人々とか、特に昨今のマスコミやジャーナリストは、往々にして、人間の霊性とか心の問題を問うことに関してさえ『宗教』とか『洗脳』などのレッテルを貼り、全く耳を貸そうとしないか、批判的または冷笑的なとりあげかたをする傾向がある。そのような人々こそ、自分が癌の宣告を受けたり、死に直面すると、急に脅えや恐怖心にとらわれるのではないだろうか。人間が何のために生きているのか、いのちの意味は何かなどということを真剣に考えるどころか、関心を持つ人々を批判しようとするのは何故なのか。
アリス・ベイリーの著書を通じて、西洋の秘教学徒の間で親しまれているジュワール・クール覚者はこう述べている――
「人間の神性(霊性)がいつも宗教とか教会や寺院の独占物のように語られてきたことは、地上における悪の勢力の最大の勝利であった」と。
人間の精神性、霊性が宗教の世界だけで語られ、政治や経済や社会がどれほど堕落した不公正なものであろうとも、切り離して考えられる。そのような思考態度こそが、今日の世界の状況を創り出したのである。
心なき政治と心なき経済の発展、物質主義に目のくらんだ貪欲が、全人類を絶滅の崖っぷちへと追い込んでいる。商業至上主義【コマーシャリズム】という信仰が世界に蔓延し、人間生活のあらゆる面を支配し、競争と利潤性の名のもとに、人間の基本的な必要や人間性が犠牲にされていく。家族の生活や人間らしい生き方を犠牲にして企業の発展のために献身してきた会社人間たちが、いまそのような生き方の無意味さを痛感しはじめているのではなかろうか。彼らがこれを転機に、人生の目的とか、心の問題に目を向け、意識を変えていくならば、必ずやマイトレーヤと覚者方の援助の手が差し延べられることを私は疑わない。
「わたしのこころ【ハート】は助けを求めてくる者たちすべてを包む。
兄弟姉妹たちよ。わたしの助けはあなたがたの意のままである。
ただ求めさえすればよいのである」(49信)
『いのちの水を運ぶ者』訳者あとがきより